Tomlab Blog

created: 2022-11-20 Think Tank

Think Tank


日本における政策形成体制とシンクタンク

日本では明治時代以降、行政が中心的に政策形成を行っている。戦後、日本国憲法において国民主権が謳われ、国会が国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関とされてはいるが、その民主主義の制度を実体化するための政策インフラや仕組みは実際にはあまりつくられていないままである。

海外、特に米国ではシンクタンクという研究組織(米国の場合では主に民間が運営し、非営利で、政府機関から独立している)は、「知」と「治」を結び付け、政治の場において多元的情報源を担保しながら政策を形成していくための武器・道具・インフラの一つとして重要な役割を担っている。

一方、日本のシンクタンクは歴史的には、行政中心の政治体制を大きく変えるためではなく、単なる調査研究機関としてあくまでも既存の仕組みや制度を補完するものとして導入された側面が強く、民主主義の道具であるという認識が非常に希薄である。

しかしながら1990年代になると、官僚・行政主導型の社会運営の問題と限界がみえはじめた。また、1995年に阪神淡路大震災が起き、その復興活動において市民のさまざまな活動が重要な役割を果たした。これらのことから、民間非営利セクターが社会の公的活動に参加することに対する重要性の認識が高まった。

このような流れと同調して、日本でも1997年前後に、今までの組織内の単なる調査研究の補助機関とは異なる、さまざまな民間非営利独立型のシンクタンクが生まれた。また、多くの大学における学部や大学院レベルで政策に関する部門や、さまざまな政策研究に関する学会が誕生した。また「特定非営利活動促進法」(2003年施行)、「情報公開法」(2001年施行)、「政策評価法」(2002年)など、政策に関わるインフラとなり従来の政策の枠を変える可能性がある法律ができた。

以上のように、行政以外の主体からの政策形成への参加の必要性に関する認識が高まり、日本でも当時はシンクタンクが民主主義の道具としての役割を担い始めていることをメディアでも多々取り上げられ、社会的にも大きく評価された。

しかしながら、新しくできたシンクタンクは、それらを支援・育成する社会的な土壌や財政や組織運営上の基盤が脆弱であるために、2004年前後までにはそれらの大半が組織解散や活動停止、弱体化、あるいは変質してしまっている。

日本におけるシンクタンクの多くは、米国型の「民間・非営利・独立」のシンクタンクとして政策形成の場に関わる主体となることを目標としてきたが、現状ではその実現には至っていない。

日本で米国型のシンクタンクを設立、運営する上での一番の課題は、政策研究のための資金の欠如である。日本では行政の枠内での委託研究としての資金の流れは存在するが、それ以外の独立した資金の流れが乏しい。

本来であるならば公共的課題の解決のためには、寄付資金を利用することができることが望ましいが、日本では寄付文化が十分には育成されていない。そこで税金の一部から政策研究への資金の流れを新たに創出する工夫などが必要である。

また別の大きな課題として政策人材の欠如が挙げられる。

日本では行政と民間との間の人的流動性に乏しい。そこで学者や民間人に色々なアイデアや意見があっても、それらは政策形成の現場を知らずに作られたものであり、政策形成の現場においては実用的な知見にならない場合がある。すなわち日本では「知」と「治」がむすびついていないために、米国型のシンクタンクが育成されないことにもつながっている。

米国のシンクタンク・政策産業

では、なぜ米国においてはシンクタンク産業・政策産業が成立しているのか。

米国におけるこの産業の成長の契機は、1966年に米国健康教育福祉省(HEW、現HHS)にできた計画評価局(Assistant Secretary for Planning and Evaluation: ASPE)の政策評価にある。

当時のHEWの次官補であったWilliam Gorhamは「新事業のために予算計上された事業費の1パーセントは省全体としてまとめて保留され、これは省長官の自由裁量において、政策研究と評価に使うこと」という、1%政策評価保留事項を策定した。Gorhamはこの条項によって政策研究プロジェクトが省庁から出されることを見越してUrban Instituteを設立した。

1960年代の終わりまでには、根源的な社会問題の解決には、より深い理解と研究が必要であり、より多くの資金がより賢い政策を目指す知的資源の開発に投資されなければならないという認識が高まった。ASPEに始まったこの1%政策評価保留は他の省庁に波及し、この時代の要請に応えるものとして、歴史的な意義を有するようになった。

1970年代以降、政策産業はプログラム評価を中心として、政策予測、分析、評価手法やモデル開発などの実績を積み重ねてきた。その実施機関は政府内の組織のみならず、民間非営利・営利シンクタンクや大学などがあり、政府の研究評価資金によるものと、個人・企業・団体などのフィランソロピー資金によって支えられている。

日本では2002年に政策評価法が施行されているが、政策評価を行政組織内部の活動としているために、実りある成果を期待できない。

また外部に委託契約する政策評価資金への資金が準備されていないため、政策評価産業を政府外に育成する契機を作り出すことができていない。

その一方、米国の1%政策評価保留は、政策研究・分析・評価プロジェクトを政府外に発注する資金の流れをつくり、政府外に政策研究・分析・評価の能力、政策キャパシティーを育てる政策産業を生み出しており、米国型のシンクタンクは「知」と「治」とを橋渡しする人材育成をする役割も担っている。